はじめに
- 今回から複数回に分けて、チェックリスト型のフレームワークの代表であるEASTを紹介します。前回も紹介したように、EASTとはEasy、Attractive、Social、Timelyの頭文字。英国ナッジユニットが、政府や自治体などと連携してナッジを実践する中で、特に有用なナッジのポイントを4つの要素に整理したものです。
- EASTは、あくまでナッジのエッセンスをまとめたもので、網羅的なものではありません。また、EASTのそれぞれの要素を単体で活用することも、組み合わせて活用することも可能です。YBiTのメンバーは調味料のようなものと紹介しています。全ての調味料を入れればおいしい料理になるわけでもありませんが、複数を組み合わせて絶妙な味を出すこともあります。
- 英国ナッジユニットのレポート『EAST』は、EASTの解説や具体例を紹介するだけではありません。EASTはナッジを使った介入を設計する際には大変有用ですが、政策課題や文脈を適切に理解していなければ、ナッジは有効でないどころか弊害さえもたらしかねません。そこで、EASTを活用した政策立案アプローチを、①政策目的(アウトカム)の設定→②文脈の把握→③ナッジの設計→④効果検証という4つのステップに分けて紹介しています。
- これから数回のEASTコラムでは、まずEASTそれぞれについて紹介し、その後に4ステップの政策アプローチを紹介します。また、『EAST』では、ナッジを実践する際に陥りがちな落とし穴を紹介しているので、それらについても触れたいと思います。それでは今回はEasyを紹介しましょう。
※本コラムの内容や紹介する事例は 英国ナッジユニット(BIT) の『EAST』か『Inside the Nudge Unit』( 2015年 著:デイビッド・ハルパーン)を参考にしています。ここでは事例一つ一つの引用元を明記しませんので、気になる方はそれぞれを参照してください。
Make it Easy(簡潔に)
- 人々の選択や行動は、ささいな障害や、一見全く関係なさそうなことによって、実は大きな影響を受けています。Easyは、こうした障害をできるだけ排除することで、望ましい選択や行動が行われやすくするものです。逆にいうと、望ましくない選択や行動ならば、意図的に障害を設けることで阻止できるかもしれません。
- 英国ナッジユニットがナッジを適用する際に真っ先に検討するのがEasyです。その背景には、英国ナッジユニットがナッジの先行研究をレビューした結果、最もよく使われている要素がEasyだったことがあります。また、Easyは、2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラ―教授が最も重視するポイントでもあります。セイラ―教授と一緒に『nudge』(邦題『実践行動経済学』)を執筆したキャス・サンスティーン教授も、ホワイトハウスのOIRA( Office of Information and Regulatory Affairs :情報・規制を統括する米国連邦政府の中でも大変影響力の大きい組織)を率いた際に、行政手続きや規制の簡素化を徹底しました。
- これらから分かるように、Easyはナッジを実践する際の一丁目一番地です。そこで、今回はEasyのエッセンスを確認しましょう。
デフォルト
- Easyの最初のポイントは、望ましい選択肢を「デフォルト」にすることです。デフォルトとは、何も選択しない場合に自動で選択される選択肢のことです。人間は特にこだわりがなければデフォルトを選択するだけでなく、いったん選択すると現状に留まろうとする傾向(現状維持バイアス)があります。そこで、デフォルトが望ましいものであれば、望ましい選択を自動的に選択し、その選択肢に留まり続けることが見込まれます。あなたの携帯電話やインターネットプロバイダ、電気契約、保険契約について考えてみてください。他にもっと魅力的なプランがあっても、果たして何人の方が契約変更までしているでしょうか。
- デフォルトを活用した政策で有名な例を紹介しましょう。まずは年金や貯蓄です。誰しも老後に向けた貯蓄や個人型年金の重要性は認識していますし、政府や雇用者も税額控除や助成金などで加入を奨励していますが、面倒な手続きがボトルネックとなってなかなか加入が進みません。そこで、未加入ではなく加入をデフォルトの選択肢にしてみたところ、大幅に加入率が上がりました。特に米国では、貯蓄をしない退役軍人がホームレスに陥ってしまうことが大きな社会問題でしたが、貯蓄プランへの加入が進むことで劇的にこの問題が解消されました。なお、このような年金プランのデフォルト変更に対して、加入しなかった職員含めて大半の職員が好意的に評価しました。
- 次に、臓器提供です。国によって提供意思を示す方の割合が大きく異なりますが、それはデフォルトの違いが大きな理由です。提供がデフォルトになっている国は8割程度である一方、非提供がデフォルトの国では2割などの低い割合にとどまります。
- このように、デフォルトは大変強力なので、どこまでデフォルトに設定にすることが社会的に許容されるか、しっかり見極めることが大切です。特に、年金や臓器提供のような重要な意思決定でデフォルトを活用する場合は、慎重に判断する必要があります。
- 他方で、何かしらデフォルトにならざるを得ないケースは多々あります。例えば、ホテルのビュッフェの皿のサイズ、電気や冷暖房のスイッチが自動か手動か、申請書などで最初に記入する項目、などなど。これらは、食事や食ロスの量、エネルギー消費量、申請内容に多かれ少なかれ影響を与えるとのエビデンスが多数報告されています。
- このように、デフォルトは我々の身の回りにたくさんあるので、できる限り望ましいものにすることが大事です。
面倒な要因をなくす
- デフォルト設定が変えられなくても、できることはたくさんあります。ある選択や行動をとるうえで面倒に感じさせる要因は多かれ少なかれありますが、それをできる限り最小限にとどめることで(つまり必要な努力レベルを最小限にとどめることで)、そうした選択や行動が行われやすくなります。
- 例えば、納税者への督促状において、納付を案内するウェブサイトではなく、ウェブサイト内の納税フォームに直接案内することで、納税率が向上しました(19%→23%)。たったワンクリックの違いでこれだけの違いが出るのです。
- また、米国の大学奨学金の申請において、行政が事前に把握している情報(納税時の情報等)を自動で入力するサポートを行ったところ、低所得世帯の申請率が大幅に上昇しました(34%→42%)。学費が非常に高い米国では、奨学金が無ければ大学進学や卒業をあきらめざるを得ない若者が非常に多いです。また、米国では、学歴が生涯年収のように人生にとって重要な要素に大きな影響を与えます。つまり、奨学金の有無は人生を左右するほど重要なのですが、それすらも手続きの煩雑さに影響されるのです。
- ちょっとした面倒な要因がボトルネックになるので、それを有効活用することも可能です。つまり、自殺や犯罪のように、望ましくない行動にはできるだけ障害を設けることで、事前に阻止することができるかもしれません。
- 例えばバイクの盗難です。1980年台、東ドイツにおいて、バイク乗車時のヘルメット着用を義務付けたところ、バイク盗難が60%減少しました。運転手の安全のために行われた義務付けでしたが、バイク盗難者にとっての障壁となり盗難が減ったと推察されています。ヘルメット義務付け後のバイク盗難の減少は、米国のテキサス州、英国、オランダなどでも報告されています。
- 次に自殺の防止です。鎮痛剤や総合感冒薬として処方されるパラセタモール(又はアセトアミノフェン)ですが、大量服用による自殺が問題になっていました。そこで、一定の錠数以上の場合は、一錠ごとの梱包(ブリスターパック)を義務付けることで大量服用をちょっと面倒にしたところ、大量服用による自殺率が43%減少しました。人の生死がちょっとした梱包方法の違いに影響されるのです。
メッセージをシンプルに
- Easyの最後は通知などのメッセージをシンプルにすることです。行政にしてもビジネスにしても、コミュニケーションは最も基本的なステップですが、行政は往々にしてこの基本的な部分でつまづいています。つまり、市民などにある行動をしてもらうために、法令で義務付けたり、インセンティブを設けたり、普及啓発を行ったりしていますが、往々にして情報過多であったり、法令用語いっぱいで分かりにくかったりして、そもそもメッセージが市民に理解されないために、市民が意図する行動をとってくれません。メッセージをシンプルで分かりやすくするのは、単に理解されやすいだけでなく、信じられやすいという実験結果もありますので、なおさらメッセージの簡潔さに配慮することは重要です(例:同じ文書であっても文字のフォントや太さなどが違うだけで、その内容を信じる人の数が有意に変化したラボ実験などがあります)。
- 例えば、英国ナッジユニットは、国税庁や裁判所などと文書をシンプルにする実験を繰り返し、平均して5~10パーセントの対応率上昇につながりました。また、徴税通知について、法令用語いっぱいのものから、平易な言葉で動作指示を明確にするスタイルに変更することで、200~300%も効果的になりました。「少ないほどいい」という原則も当てはまります。事業者向けのメールを短くすることで、案内したウェブサイトの閲覧率も4割から6割ほど上昇しました。
- 行政は、年に数千、数万もの通知を発出します。行政内部の文書などが分かりやすくなることで事務処理ミスを防ぐこともできるでしょう。また、市民など行政外部宛の通知が簡潔で明瞭になることで、住民などからの問い合わせも減り、行政コストを引き下げることができるでしょう。例えば、医師の字が汚いことが処方ミスを招いていた事例では、様式を改善することで大幅に処方ミスを防止することが可能になりました。
- 最後に、Easyの観点で通知を作成する際の5つのポイントを紹介します。是非皆さんもご自身で文書などを作成する際に留意してください。
①重要なメッセージは冒頭に |
②シンプルな言葉で |
③動作指示は明確に |
④連絡先は一つ |
⑤真に必要な情報以外は載せない |
おわりに
- 今回紹介したEasyの要素(デフォルト、面倒な要因をなくす、メッセージをシンプルに)の実践は、大きな追加コストを伴なわない場合が多いので、高い費用対効果が期待できます。前例踏襲主義の中、抜本的にEasyにする際には、いろいろと抵抗があるかもしれませんが、そうした取り組みをサポートする事例やエビデンスの蓄積が急速に進んでいますので、皆さんも是非実践してみてください。
執筆/文責:津田広和(YBiTコアメンバー)