気候変動適応策へのナッジの応用(コラム④:高木佑介)

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「新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれる[1]」、これは東京大学の学部入学式で上野教授が大学における多様性の大切さを説くなかで使った言葉ですが、それと同時にイノベーションの本質を端的に捉えています。

もしこれがイノベーションの創出に当てはまるとしたら、行動デザインという1つのシステムと何を組み合わせれば、より大きなインパクトを得られるのでしょうか?

このコラムのシリーズでは、特に開発協力に焦点を当て、行動デザインと相乗効果を生み出しうる要素について考察します。

気候変動適応策へのナッジの応用

行動デザインと気候変動政策

行動デザインは、気候変動政策にもよく取り入れられるようになってきました。特に気候変動の緩和策においては、ナッジを効かせたメッセージによるエネルギー需要のマネジメントや思わず消したくなるスイッチを使った省エネなど、様々な場面で行動デザインの応用が進んでいます。一方で、気候変動の適応策へのナッジの応用については、あまり関心が向けられていません。しかし、これは適応策に行動デザインがフィットしない、ということではありません。むしろ、適応に関わる施策のなかには、ナッジを活用すれば効果を高めうるものが多くあります。

気候変動適応策の多くは、「事前の備え」を必要とします。そして、私たちは、「事前の備え」が重要だと頭では理解しているものの策を講じられなかったり、ついつい先延ばしにしたりしてしまいます。だからこそ、行動デザインの手法、特にナッジを活用すれば効果を高められる余地があるはずです。

今回は、気候変動適応策のどんな分野において、どうナッジが望ましい行動と現実の行動ギャップを埋めうるか、いくつか事例を紹介しつつ考察します。

防災・減災とナッジ

気候変動は、さらなる異常気象をもたらし、より頻繁で甚大な被害をもたらす自然災害を引き起こす可能性がある、と言われています。そのなかでも特に洪水は、極めて多くの人に影響を及ぼします。国連防災機関(UNDRR)によると、2018年に異常気象による災害の影響を受けた人の数は、6,000万人にのぼります[2]。このうち、洪水による被害を受けた人の数が最も多く、3,540万です[3]

洪水による災害リスクの低減には、十分な備えとリスクの把握が必要です。しかしながら、ここに行動ギャップがあります。私たちは災害リスクをあたかも他人事のようにとらえ、十分な策をとらないことがあります。たとえ自治体が洪水リスクや避難所が示されたハザードマップを配布したとしても、人々がそれをどれだけ真剣に受け止めるかは、また別の話です。

この点について、Terpstra et al. (2014, p1517) の研究では、気候変動と絡めて洪水リスクをアピールし、多少の恐怖心を刺激するメッセージを伝えることで、人々がリスクに関する情報を求める傾向が強まることを明らかにしました[4]。彼らは、異なるリスクのフレーミングの仕方がどう人々の対応に影響するかに着目し、オランダでのランダム化比較試験(RCT)を通して、どのメッセージが人々の洪水リスクへの対応に向けた情報収集を促すか、調査しました。Web上の調査では、コントロール群(介入なし)と別のメッセージ(市の洪水対応策の説明など)を受け取った他の2つのグループに比べ、洪水の写真とともに増大する気候変動の影響に言及し洪水リスクをアピールするメッセージを受け取ったグループにおいて、さらなる情報を得ようとする傾向が最も顕著にみられました。

Terpstra et al. (2014, p1507) は、『リスクコミュニケーションは、リスクに対する考え方を変えるよう、人々を促す』とし、『危機感は、一般的に認知プロセスのなかで認識されるが、一方で恐怖心のような感情も人間がどうリスクに反応するかを理解するうえで必要なものと考えられる。これら認知と感情のプロセスの両方が(リスクに)適応するための対処行動を促す。』と述べています[5]

もちろん危機感を感じさせるようなメッセージが社会的にどこまで許容されるか、倫理的な側面への配慮も必要ですが、このような研究やリスクに適応するための対処行動をどう促すかという視点は、非常に重要であり、かつ行動デザインが適応策として防災や減災に応用できることを示しています。

横浜市でも地域の防災を担当する部署が、EASTのフレームワークを活用して浸水のリスクや備えについて伝えるチラシの文言改善に取り組み、YBiTも行動デザインの活用をサポートしました。こうした自治体による取組を、都市間協力を通じて共有することは重要であり、気候変動適応策の効果を高めることに繋がるのではないでしょうか。

不作と肥料の活用

農業は、気候変動に最も脆弱な分野の1つです。今日、世界の貧困層の80%が農村に住み、その多くが農業を生業にしています[6]。そして、彼らは干ばつや洪水、豪雨、日照時間の不足など、気候変動による様々なリスクにさらされています。変わりゆく気候や気象パターンに適応するためには、農業従事者がそれらに適応する能力を高め、適切な対応策をとることが求められます。しかしながら、これは簡単ではなく、行動変容を必要とします。そして、多くの場合、少しの面倒さや「現状維持バイアス」が行動の妨げになります。

農業における肥料の活用は、気候変動に適応し、生産性を向上するために有効な策の1つです。ケニアでは、農業省が農業従事者に対して、適切な量の肥料を使い収穫を増やすよう勧めてきました。研究者も適切な量の肥料を加えることで、生産性を50%まで向上できる、とその効果を認めています[7]。しかしながら、その効果を理解しながらも、多くの人たちは肥料を購入していませんでした。そんななか、ノーベル経済学賞を受賞したエスター・デュフロ教授をはじめとする行動経済学者たちは、ナッジ理論に基づく介入策を試みました。NGOと連携し、肥料クーポンを売るプログラムを始めたのです[8]。これは、収穫のすぐ後、つまり農業で生計を立てる人たちが十分なお金を持っていて、生産性についての関心が高まっている時期に肥料クーポンを戸別訪問で販売するというものでした。結果としてこのプログラムにより農業従事者の肥料の購入量は50%増加し、生産性も向上しました[9]。この例は、EASTのフレームワークでも紹介されている「タイムリーな介入」により、少しの面倒さや「現状維持バイアス」といった開発における「最後の1マイル」の問題をよく引き起こす要因を克服できることを示しています。

マイクロ貯蓄と保険

冒頭で述べたとおり、気候変動適応策においては、「事前の備え」が極めて重要です。この点で、貯蓄と保険は生活のレジリエンスを確保するうえで、特に重要な役割を担います。貧困世帯の貯蓄に関して、バナジー氏とデュフロ氏(2012年)は、貯蓄は外部からのショックをやわらげてくれる金銭的なクッションとして、特に有効であると述べています[10]。カーラン氏とアペル氏(2013年)も貯蓄の果たす役割を強調し、貧困層は貯蓄の必要性を理解しており、お金をためる意欲もある、だからやるべきは、その選択肢を提供することだ、と述べています[11]

しかしながら、たとえ人々が貯蓄の重要性を理解していて意欲があったとしても、計画通りにお金を貯められないというのは、ありふれた話です。

幸運にも、貯蓄を増やすためのナッジを使った手法については、多くの先行事例があります。カーラン氏とアペル氏(2013年)は、フィリピンでは「コミットメント貯蓄」が有効だったと報告しています[12]。この貯蓄プログラムで、顧客は貯蓄目標を設定し、その額に到達するまで口座からお金を下ろすことはできません。これは一見不便に見えますが、実際のところフィリピンでは、かなり人気のプログラムになりました。そして、フィリピンの事例では、「コミットメント貯蓄」の機会を提供された顧客の貯蓄額が平均して6ヶ月で47%、1年で82%増加しました[13]。この結果を受けて、カーラン氏とアペル氏は、貧困層は適切なツールを提供されれば貯蓄額を増やすことができる、と結論付けています。

国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による直近の報告書では、人々の健康や安全、作物の収穫に重要な気候変動への適応策の1つとして保険をあげています[14]。加えて、パリ宣言でも気候変動の負の影響による損害を回避、最小化し、対処するための手段として保険に言及しています[15]。こうしたニーズを受け、マイクロファイナンス機関などの金融機関は、気候保険や天候や降雨量に関する保険、農業保険など、気候変動に関連する保険を開発しています。しかしながら、こうした取組も行動ギャップの影響を受けます。貧困に直面し、リスクと対峙している人たちは、保険のメリットを理解しながらもなかなか加入しようとはしません。多くの場合、「現在志向バイアス」が将来のリスクへの備えにネガティブに作用しています。保険の加入率をあげるため、カーラン氏とアペル氏(2013年)は、保険に入るという選択肢を魅力的にすることが大切だと語り、開発援助の世界ではあまり考慮されないマーケティングの手法が必要だ、と述べています[16]。彼らのインドでの実験では、各家庭を戸別訪問し、保険について説明することで加入率を増やすことができることを証明しました。特に、保険の販売員をマイクロ融資の担当者などの信頼できる知人により紹介された場合、戸別訪問の効果は、1/3も高まりました[17]。同じような結果がバナジー氏とデュフロ氏(2012年)による実証実験でも得られています。彼らの実験では、インドにおいて気候保険を売り込む際に、戸別訪問を行ったことで加入者が4倍に増えました[18]

このように、コミットメントや魅力さ(Attractive)、そして社会的なネットワークを活用したナッジの手法を用いることで、貯蓄や保険への加入といった気候変動に対処するうえで重要な好ましい行動をとるよう人々を後押しできることがわかります。

適応策におけるナッジ活用の可能性

3つの政策領域における事例を見てきたとおり、ナッジは気候変動適応策に応用できると考えられます。むしろ、適応に関わる施策は、「現状維持バイアス」や「現在志向バイアス」等の意思決定に係るバイアスに象徴される人間の不合理性が施策の効果の妨げになることがあるため、ナッジとの親和性は高いと考えられます。対策を取ったほうが良い、と思ってはいるものの、適切な行動をとれないのが、人間の性です。この点、教育や啓発といった従来の手法では不十分な場合があります。そんな時こそ、ナッジを活用することにより、コストをかけずに有効な策を打てる可能性があります。実際、この記事で触れたとおり、洪水時の避難や、肥料の活用、保険への加入など、気候変動適応策に関係する分野のナッジ活用の研究やノウハウはそれぞれ蓄積されてきています。一方で課題は、それらが気候変動適応策として認識・吟味されていないことです。今後は、現状の各分野のナッジの実践事例を再度気候変動適応策の目指すべき方向性と照らし合わせて、改めて適応策のなかに行動デザインの視点を組み込んでいくことが求められるのではないでしょうか。

執筆/文責:高木佑介(YBiTコアメンバー/横浜市)

※本コラムは個人の見解であり、所属団体(YBiT)を代表するものではありません。


[1]上野千鶴子「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」〔https://www.utokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html〕(最終検索日:2019年9月23日)

[2] The UN Office for Disaster Risk Reduction (UNDRR). (2019) “2018: Extreme weather events affected 60m people” [Online] Available at https://www.unisdr.org/archive/63267  [Accessed December 8th, 2019].

[3] 同上

[4] Terpstra, T., Zaalberg, R., de Boer, J., & Botzen, W. (2014). “You have been framed! How antecedents of information need mediate the effects of risk communication messages”. Risk Analysis 34(8), 1506-1520.

[5] 同上

[6] The World Bank (2019) “Agriculture and Food” [Online] Available at https://www.worldbank.org/en/topic/agriculture/overview [Accessed December 8th, 2019].

[7]  ディーン・カーラン、ジェイコブ・アペル(2013)『善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学』(清川 幸美訳)東京:みすず書房.

[8]  同上

[9]  同上

[10] アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ(2012)『貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える』(山形浩生訳)東京:みすず書房.

[11] ディーン・カーラン、ジェイコブ・アペル(2013)『善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学』(清川 幸美訳)東京:みすず書房.

[12] 同上

[13] 同上

[14] IPCC (2014) “Climate Change 2014: Synthesis Report. Contribution of Working Groups I, II and III to the Fifth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change” [Core Writing Team, R.K. Pachauri and L.A. Meyer (eds.)]. IPCC, Geneva, Switzerland, 151 pp. [Online] Available at https://www.ipcc.ch/report/ar5/syr/ [Accessed December 8th, 2019].

[15] The United Nations (2015) ”Paris Agreement” [Online] Available at https://unfccc.int/files/essential_background/convention/application/pdf/english_paris_agreement.pdf [Accessed December 8th, 2019].

[16] ディーン・カーラン、ジェイコブ・アペル(2013)『善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学』(清川 幸美訳)東京:みすず書房

[17] 同上

[18] アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ(2012)『貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える』(山形浩生訳)東京:みすず書房.

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